戸隠物語
御神楽

戸隠神社の太々神楽

日本神話で、天照大神様が岩戸にこもられたとき、神々が岩戸の前で神楽を奏して、再び天照大神様にこの世にお出ましいただいたという物語があります。
岩戸の前で舞を舞った天鈿女命の子孫が神の託宣を人々に伝える巫女として、祭りに参加してきた歴史があり、当地には天鈿女命を祀る火乃御子神社が平安時代から祀られています。
また、天手力雄命が高天原から投げた天の岩戸が落ちて戸隠山になったという伝説は、古くから信じられてきました。
徳川幕府が戸隠一千石の土地を寄進した時、ニ百石を火乃御子神社の神主に配分したのは、それだけこの神社並びに神主の功績を認めたからでしょう。
明治時代にそれまでの神仏混交を改め、戸隠神社として整えられた際、太々神楽は、コウ講員を始め参詣の皆様の幸せを開く基本として、例大祭はもとより、月並祭、また献奏希望のあるたびに、献奏されております。

本社(奥社)

御祭神は天手力雄命で命の子孫が入由し「天の岩戸開き」に功績のあった神々を祀りしたのに始まると伝えられています。
参堂は約二千米、中間に茅茸の随神門があり、両側に樹齢四百年をこえる杉並木が鬱蒼と続いております。
大講堂跡や院坊跡に往時の姿を偲ぶことができます。
社殿はこの幽玄な自然に溶け込んでおり、今も信仰の厚い人達が大勢訪れ賑わっております。




鏡池では四季を通してさまざまな景色を楽しむことが出来ます。
冬には一面を雪で覆われ、秋にはきれいな紅葉を楽しむことが出来ます。
絶好の撮影ポイントとなっております。







九頭龍社

奥社社殿のすぐ下にある御社で、鎮座年月は不詳ですが、地主の神「九頭龍大神」をお祀りしてあります。
戸隠山は平安時代の嘉祥二年(八四九)学問行者がこの地に登山参篭していたところへ、九頭龍王が現れ、「戸隠寺を建立せよ」とのお告げを残し、身を岩窟のなかに隠されたことに始まります。
鳥居川や裾花川の水源である戸隠山は神仏が宿る神聖な山(山の神)という意味あいをもち、古来より水の神・農業の神として信仰されてきました。
霊験あらたかで、現在でも旱魃の時には各地より雨乞い祈願に登拝されております。


本社(奥社)

御祭神は「天の岩戸開き」を御考案なされた「天 八 意 思 兼 命」で寛治元年(一〇八七)奥社と宝光社との中間の現在地に奥社より分祀されました。知恵の神様として学業成就・商売繁盛の御神徳があります。
現在、戸隠神社五社を統括する社務所は、この御社に置かれております。
四季折々の景色を楽しめる絶好のスポットです。
秋になればすばらしい紅葉を楽しむことが出来ます。
戸隠では多種多様な野鳥と出会うことが出来ます、秋には紅葉を楽しみ他の季節もすばらしい景色とバードウォッチングを楽しむことが出来るでしょう。

本社(奥社)

御祭神は「天 表 春 命」で、奥社より康平元年(一〇五三)分祀されました。
樹齢六百年と言われる杉の古木の中を、ニ百数十段の石段を登り詰めた所に、神仏習合当時の面影を今に伝える御社殿があります。技芸・安産・縁結びの神として、信者の尊信を集めております。中社とともに、随時太々神楽の献奏や諸祈願祭を執行しております。





本社(奥社)

承徳二年(一〇九八)頃の創建で、岩戸の前で舞われた天鈿女命が主祭神で他に三柱の神様をお祀り申しあげております。
戸隠山の神様が神仏習合されていた当時も、このお社だけは神社として終始しておりました。戸隠神社太々御神楽は、この神社に仕えていた社人によって古来より伝えられ現在に至っております。
舞楽芸能の神、火防の神として尊祟されております。